2008年08月05日

心配性

前回の記事の母との会話でスイッチが入ってしまったので、彼つながりの記事を書こうと思います。


13回忌が過ぎ、さすがに「どうして死んでしまったのだろう」とは思わなくなった。
人に寿命があることはいい年になりわかっている。
きっと生まれたときからその人の生きる長さは決まっているのだ。
実際私自身も「植物人間か死か」と言われたにも関わらず、しっかり元気になっている。
多少内臓に後遺症はあるものの、これ以上を望んだらきりが無い。

自分の目で見た死に逝く情景はいつまでも消えないのに、その時の悲しみや感情はしだいに薄れ、座っていることも立っていることも出来ないような不安定な精神状態を100パーセント思い出せるかというと疑問だ。
ただ、いまだに薄れないのは「今まで触る事ができた人が一瞬で見る事すら出来なくなる恐怖感」だろうか。
親族の死と、恋人・配偶者の死の違いは、思い出と触れ合いの多さの違いのように私は思っている。
何十年も一緒に生きた親族は思い出が多くて亡くなった時には辛いだろうし、寝食を共にし触りなれた体が消えるあの何ともいえない感覚も辛い。
私は大変だった結婚生活の中でも旦那が消えることを恐れていたような気がする。
いなくなってくれたらどんなに気持ちが楽になるだろうと思いながら、もしも突然死んでしまったら・・・と思うと今までいた人が突然消えるという事実が怖かった。
それは旦那だからではなく、誰と付き合っても誰と結婚しても、この先ずっと変わらずそう思うのだと思う。
マメすぎる連絡は不必要だが、一定の連絡が来ないと「何かあったのでは」ととても不安になる。
そして、指先に力が入らなくなる。
全く本当に厄介なほど心配性になったものだ。
忙しくて連絡が出来ないだけなのに「事故で死んだのでは?」と何度も殺されては困るだろう。
とはいえ、それを口に出す事はないが、私自身が精神的に安定していないという事なのか。
子供が大きくなり、私のように出かけたらいつか帰るかわからないような生活をするようになったら、その時の気分を考えると頭が痛い。
そうなるとは限らないが、歴史は繰り返すとよく聞くし。

何が書きたいのかよくわからなくなってきたが、いろんな思いをして、いろんな経験をして、それが全て良い事に結び付くかというとそれもまた、もっと時間が過ぎてみないとわからない。




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posted by ひとみ at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 死んだ元カレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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